勤め。そう、会社だけではなく、寺の勤めもある。
今調べたら、会社の勤めと、寺の勤めでは、同じ漢字の勤めを使うらしい。
内容的には、何となく、ずいぶん違う感じはするが、ある意味共通点はあるのだろう。
そして、私は、今日も、午前中、勤めに出ていた。しかし、それはお金にはならない。私が勝手にしていることである。
勤め終わって帰ってくると、今日も勤めたという自己満足感だけはある。
このような勝手な自己満足。これがなかなかいい心の仕事をしているのかも知れないと感じ始めた。
身体は疲れた。努力もした。お金にはつながらないが、それでも、私は今日も頑張ったという感覚はある。
これ意外と、大事なのかも知れないなと思う。
人の心なんて、結局は自己満足ではあるのだけれども、どれだけ、実感を持って自己満足させてくれるかが、大切だろう。
それこそ、「イワシの頭も信心から」と言われるくらい、信じられれば、すばらしいだろう。
そして、今日も歩いてきた。明日も歩くだろう。何の変化もなく、それを信じて、私は歩き続けるだろう。
そして、今朝感じた。意味を追求するのではなく、信じて、続けること、追求すること、これは、人が生きている実感を感じるには、もしかしたら、非常に大切なことなのかも知れないと。