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人生振り返ってのつれづれ思考

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2018年 06月 17日

今日のカワセミは、目の前で、餌取りを見せてくれた

写真ではその場面は、撮れなかった。この前は、2匹だったのが、今日は、2匹と1匹で、合計3匹が、いつもいる辺りにいた。それは、私が名付けたあじさいロードの近くであった。
話は変わるが、今日歩きながら考えていた。この世に魔法はあるのだろうかと。奇跡を起こしてくれる何か、あるいはまじない的な行動。
昔の人から見れば、今の薬は魔法を起こすものであろう。抜歯の後の痛みを、処方してもらった薬を飲むと、ものの見事に、消滅させてくれた。私は歯槽膿漏で、どれだけ歯を抜いたことか。その都度、痛み止めをもらっていた。これは、今では当たり前のように考えてしまうが、昔の人から見れば、これこそ、魔法だろう。
禁煙の苦痛を少なくするための魔法をどれだけ求めただろう。でも、見つけることはできず、苦しさを減らすために、午前午後と、歩き回った。
おまじないは、現代では、他者への恨み辛みを晴らすためには、まだあるように思う。五寸釘。あれはまさにおまじないだ。でも、自分を救うためのおまじないはない。そして、はっと浮かんだ。自分を救うためのストレートなおまじないはないが、それを満たすために、人は神を生み出したのではないだろうか。神には、奇跡を起こすことができる。その奇跡を起こしてもらいたいが故に、神にお祈りを捧げ、神を尊敬する。
お釈迦様は、人間だ。でも、人はお釈迦様に神を求め、守ってもらいたいと、大仏様のところにお祈りに行く。そして、大仏様は、半眼で、大きさは非常に大きいが、このようにして、瞑想の世界に入り、心を落ち着かせるのだと、教えてくれているように、私の目には映る。神ではない。ストレートには守ってはくれないだろう。守って欲しいのだけれども。
そして、思い出してくるのは、ニーチェが、ツァラツストラの名前を借りて、「神は死んだ」と叫ばせた。神をなくしてしまえば、守ってくれる存在はなくなってしまう。もしかしたら、自分が神になると思ったのだろうか。
そして、守ってくれる元の象徴的存在は、母なる子宮である。家であり、洞穴である。これこそが、その中にいるものを守ってくれる。
このようなことを考えながら、今日は歩いてきた。



by hohofushi | 2018-06-17 20:27 | つれづれ人生


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