IE9ピン留め
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  • 有名な人たちは、それぞれに、はっとするようなこだわりを持っているようだ
    [ 2009-10-30 22:55 ]
  • さっきアマゾンに注文していた本が届いた
    [ 2009-06-09 23:05 ]

2009年 10月 30日
有名な人たちは、それぞれに、はっとするようなこだわりを持っているようだ
今日、ユング自伝を読んでいて、ユングは、学童時代、数学が嫌いだったらしい。その一つに、「a=bならば」という言葉が、理解できなかったと言う。その頃のユングによれば、「a=bならば」は成立しないということである。a=bならば、というのは、単に数学の先生が、自分の持論を成立させるための方便だと、そのとき感じたと言う。だから、数の概念には、信頼が置けなかったと言う。でも、晩年のユングは、非常に数学には、理解が深かったように私は理解している。

しかし、言われてみれば、a=bということは、確かに、おかしい。a=aであって、b=bだ。だから、a=bならばというのは、無理矢理の考え方だと考えても、まったくその通りだと、この年になった私も感じる。

a=bで、b=cならば、a=cである、という論理は、成立しないと言われれば、確かにそうだ。

数の論理というのは、ある部分を捨象している。その結果、a=bならばと、そのようなことは、「ならば」ではない、むりやりな、「ならば」を作り出している。確かにそう言われてみれば、そうだ。a=aであって、b=bである。確かに言われてみれば、そうである。

数の世界は、何を捨象しているのか、それについての部分の説明がそのとき、ユングに話されていなかったのだろう。それと同時に、ユングは、具象世界における論理を大事にしていたのだろうと思う。

それなら、具象と、抽象はどのように異なるのかということになってくる。
わかりやすいようで、本当は、非常にその世界において、ごまかしも入り込んでしまう。難しい問題である。

今日、小林秀雄の「考えるヒント2」を読んでいて、その刺激を受けて考えていたこと。
それは、人間というのは、分かることの積み重ねで、分かることが増えてきたのではなく、まず、分かることがあって、それに対する、なぜそうなのかという疑問において、歴史は展開されてきたのではないだろうかと思ったことだ。

実は、分かったということがまずあったのではないのだろうか。多分そうだろう。

始めに言葉ありきと、聖書では言われている。

そこにおける言葉とは、それは、私が今日、今感じている、まず始めに分かったという現象があるということと同じように思える。分かったとは、言葉によって、置き換えるから。命名という言葉の大きな役割を意味しているのだろう。

まず、人は、分かったと現象を捉えるらしい。
そこから、その分かったと思った現象から、長い長い展開を人間の歴史において作り出してきたように思えてきた。

まず分かることがあるらしい。
でも、その分かったということに対して、疑問をぶつけて、実は分からないという気分を作り出し、そこにおいて、改めて、それを理解しようというプロセスを積んできたのではないだろうかというのが、今日の私の気分である。

この考え方は、たぶんあり得ることだろうち。今日は、そのように感じる。

by hohofushi | 2009-10-30 22:55 | つれづれ人生 | Trackback
2009年 06月 09日
さっきアマゾンに注文していた本が届いた
注文していた本が届くと、表紙、目次を見ていると、ワクワクしてくる。

でも、前に届いた本を読んでいると、だんだん分からなくなってきていて、その本では、そこまではワクワクはしなくなってしまっている。

ワクワクの気分には、強い期待が込められているのだろう。
期待とは、私の場合、今まで出会ったこともないものがあるだろうという期待だろうと思う。

でも、よく考えてみれば、今まで私の能力で理解できる範囲内の出会ったこともないようなことを書いている本というのは、ほとんどないと思える。
でも、期待してしまう。私にも理解できる範囲での出会ったことのない本を。

本は、買って、読み始めるまでが、最大の興奮感のなかに浸っている時間なのかもしれない。もし、読み始めて、その興奮が冷めやらなければ、最高だろう。

人は元々怠け者であるという発想があるが、それに対して、いや、そうではなく、人には、好奇心と呼ばれるものがあると言われている。

この好奇心と呼ばれるもの。これが、ワクワク感に通じるものなのかもしれない。でも、今ではまだ、好奇心と呼ばれているが、この好奇心のその背景は、もっと直接的ではない、人間における根源的特徴を含むものかもしれない。それは、物事を理解したいと呼ばれる心であったりするのかもしれない。

役にも立たないことであっても、なぜか理解できないことに対しては、理解したくなる。

でも、分からなかったことが分かったような気分になることは、本当にうれしいことだ。なぜかは分からないが、うれしい。それは、心がなぜか満たされる感覚になる。

満足とは、本当にうれしいことである。

でも、よくよく考えてみれば、お腹が空いていて、そのとき、食事をして満たされるというのは分かるが、本を読んで満たされる、分からないことが分かって満たされるということは、もしかしたら、非常に不思議なことなのかもしれない。

人間以外の動物にもあるのだろうか。

by hohofushi | 2009-06-09 23:05 | 日々の生活 | Trackback