人生振り返ってのつれづれ思考

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2019年 02月 15日

今読んでいる「自然言語処理」関係の本。Linuxも勉強しないと、わからなくなってしまっている。また勉強か。

新しいことに手を出すと、どんどん勉強させられてしまう。今の人工知能の世界は、すごいらしい、多分。勉強を、この年になって、一杯やらされているし、これからもしないといけないのだろう。
勉強は楽しいことは楽しいのだけれども、Linuxまで、勉強しないといけなくなってしまっている。まずは、pythonだった。そして、今回は、今、cabochaの勉強をしている。これがなかなか難しい。インストールをやってもやってもエラーが起こってしまって、どうすればいいのかわからなくなってしまっている。これが、Linuxの問題なのか、それ以外の問題なのかもわからなくなってしまっている。
ウインドウズ10上で、Limuxを動かし、それを用いて、今読んでいる本は、自然言語を扱うことになっている。私にとって、Linuxは、初めてのため、右往左往してしまって、今は壁だ。JavaもLinux上で、動くようにした。何が何だか訳がわからない。「カボチャ」も食べないといけなくなっているが、料理の仕方がわからない。この「カボチャ」は、奈良の先端科学技術大学院大学の先生が作ったらしい。日本語を扱うソフトだ。それが「カボチャ」。インストールの仕方が全くできない。
でもまあ、ぼちぼちやっていこう。年寄りには頭の体操としては、良さそうだ。ぼけ防止だろうか。
英会話なんか、10年をもう超えてきたが、全くまだまだ、テレビのニュースを英語で聞いていると、聞こえてこない。たまに理解できる。でもまあ、この辺りのニュースをやっているらしいとだけは、かなり推測がつくようにはなってきている。
時々、外国からやってきた旅行者の英語を聞いていると、みんななかなか流ちょうで感心してしまう。でも、なぜ英語を話す人は、速く話すのだろう。日本語の場合、ゆっくり話そうとすると、話せる。でも英語を話している人がゆっくり話そうとするとき、単語と単語の間が長くなるだけで、その一つの単語はやはり速い。日本語は、一文字一文字になるが、英語の場合は、大抵、一単語一単語として、ゆっくり話されるようだ。あれが、ついて行きにくい。難しい単語の場合は特にそうだ。
このように、ぼやいてばかりしている。そして、午前午後と、歩きに行く。昔の時代は、歩くことが修行だったらしい。
今、スーパーボランティアのあの人が、歩いている。あんなに毎日毎日、いろんな人と話をしていて、どうしてあんなにいつも明るくしていられるのだろう。私の場合は、時々、一人になりたいし、暗い気分をも味わいたくなる。それがないと、自分感覚を維持できない。それが私のようだ。
まあ、人、それぞれのようだ。



# by hohofushi | 2019-02-15 21:18 | つれづれ人生
2019年 02月 05日

まだまだ禁煙のきつさは続いている

禁煙し始めて、早くも2年以上経つが、いらいら感は、それなりに感じるほどまでではなくなってきているが、今もそれなりに早朝覚醒がある。以前の4時頃よりは、もう少し遅くなってきているが、多分5時台にまず布団の中で目が覚めているように思う。時計を見るときには、いつもほとんど6時を過ぎている。その後、布団から出るのは、9時過ぎにしているが、その間の時間つぶしがきつい。楽しいときもあるが、苦しいことの方が多いように思う。否定的なことがよく浮かぶ。たまには、楽しいことやディープラーニングのプログラムのことも浮かぶが。そして、午前、午後と2度歩きに行ってくる。歩いて帰ってきたすぐ辺りは、それなりに心は解放されている。でも、その後、テレビを見ていると、気持ちの悪いニュースばかりで、それに刺激されて、また気分が否定的になってくる。今、山折哲夫さんの「「ひとり」の哲学」を読んでいる。これを読んでいるときばかりは、気分がその世界に入り込むことができているようだ。
早朝覚醒に現れているように、昼間、昼寝などは全くできない。しかし、不思議なことに、昨日、その本を読んでいたとき、非常に強い眠気に襲われた。読み続けることができなかった。それで、本を横に置いて、しばらく眠りたいと思って、横になっていると、途端にまた、眠れなくなった。多分、これは、禁煙のつらさは直接にはほとんど感じることはなくなる程度には、緩んでは来ているが、まだまだ、私を心地よくは眠らせてはくれないのだろう。
いつも、夜眠るときには、寝酒に酔い、睡眠薬を4分の1錠飲んでいる。そしたら、いつもこのときばかりは、心地よく眠れる。精神安定剤はよく効くのはわかっているが、薬依存が怖いので、飲んではいない。そうすると、微妙に不安定な気分が根底には流れているようだ。
時間の薬というのは、本物の薬とは違って、本当に時間がかかる。でも、禁煙最初の1年目に比べると、ずいぶん楽にはなってきてはいるが。あの頃は、いつも歩きに行こうということで、外に飛び出していったのを思い出す。今は、静かに外に出ている。これだけ、楽にはなっては来ているが、やはり私のニコチン依存の深さは、深かったらしい。
続けるしかない。期待しないで、楽になるのを待つしかない。



# by hohofushi | 2019-02-05 20:55 | つれづれ人生
2019年 01月 28日

新聞に、人工知能やAIという言葉が出ない日はない。今日は天気予報をAIでという記事があった

私が関心を持つ人工知能は、自然言語に関するディープラーニングである。
あまりよくはわからないが、もう少しすると、簡単にできる人工知能が、売り出されるのじゃないかと思えてきた。そして、それを買ったら、することは、ビッグデータで、学習をさせれば、学習した内容に関して、推論をしてくれるようになるのじゃないかということだ。

私は今、ディープラーニングの本を探して、いろいろそれらの本の解説を眺めていると、急激に出版されだしたのは、2016年辺りのように思える。そして、17年、18年と、いろいろ出版させている。ほんのつい最近のようだ。それが、いろんな領域で使われ初めて来ているのは、ディープラーニングのプログラムは、ほとんどできあがっていて、それをいかに教育するかのところまで来ているように思う。教育こそが、ビッグデータだ。
二、三日前、インターネットで、ニュースを見ていたら、ディープラーニング用の、それ向きのノートパソコンが売りに出されていた。それも30万円を切る値段だった。これを使うと、それ用のGPUを用いることができ、並列計算ができるらしい。だから、かかる時間が極端に短くなるらしい。私も、ディープラーニングを実際に使えるようになったならば、一台そのようなパソコンを買いたいとは思っている。
今、自然言語に関するディープラーニングを読んでいると、自然言語とは、流れらしい。流れによって、今を感じているらしい。時間軸が大切らしい。シーケンスによって、何が蓄積されるかということなのだろう。別の言葉を使えば、学習ということになるのだろう。でも、私には、コンピュータとは違って、関心のあることしか学習をする気力は沸いてこないが。
最近、関心の幅は狭まってきているように思う。それとも、テレビの内容自体が面白くなくなってきているためなのだろうか。チャンネル数は、恐ろしく昔に比べると増えたが、似たような内容ばかりで、私が強く関心を持つような内容は、あまり見当たらない。少しはあるが。
私が強く関心を持てるような番組が増えることを祈っている。



# by hohofushi | 2019-01-28 20:08 | つれづれ人生
2019年 01月 22日

老人が歩くという話題、元気印のように思う

今、二つの老人が歩くという話題がある。一つは、三浦雄一郎さんの、南米の登山、途中断念はしたが。登山も究極の歩くということのように思う。もう一つは、スーパーボランティアのあの元気な人が、東京の中学校で講演をして、帰りは歩いて、大分まで帰るらしい。今はその途中だ。すごい。二人とも元気そのもので、元気印だ。私も少しでもまねをしたいものだ。私も今歩いてきた。
私は最初、高血糖のため、歩き始めた。それは10年以上も前に始めた。時々、山歩きにも行っていた。その後、2年少し前から、禁煙の苦しさを紛らわすために、午前中も歩くようになった。そして、山歩きはなくなった。多分、私にとって、山歩きのあのゼーゼーハーハーの休憩の時、どうしてもたばこは必要だろうと思えてしまっている。だから、山歩きは行っていない。今の私には、禁煙の方が大切だからだ。
この年になってきて、なぜか続けることができるようになってきている。あれほど、勉強嫌いだった私が、勉強とは続けることであるという観点から、勉強が好きになってきている。でも、ほとんど伸びはしていないが、続けることができるようになってきている。何が変わったのかわからないが、続く。と言うよりも、もしかしたら、続くことだけを始めているのかもしれない。
歩き続けると、歩いた後非常に気分がよい。ラジオ英会話をしていると、講座の口調、内容が非常に明るい。聞いているだけで、私の気分も明るくなる。
「おしゃべりクッキング」も、よくまねをしている。簡単にできて、かなりおいしい。高血糖のため、外食を控えている私にとっては、本当に役に立っている。
そして、これこそは楽しみの第一であるが、寝酒、ウイスキーを飲んで、眠ることだ。これこそは、極楽のように思う。
山折哲夫さんも、寝酒を飲んで、酔って、そのまま眠り込むらしい。私も似たような気分だ。本当に、これが今の私にとっての最高の喜びだろう。昔、泉竹千代さんが言っていた。一日一合の黒糖酒、これが楽しみだと。私も似てきた。だから、後は、泉竹千代さんまでは行かなくても、長生きをしたいものだ。



# by hohofushi | 2019-01-22 16:52 | つれづれ人生
2019年 01月 13日

私の好きな番組、「こころの時代」に、前々回、登場していた山折先生からいろいろ勉強させてもらった

昨日も「こころの時代」はあったが、昨日は、キリスト教に関する説明が多く、私はついて行けなかったように思う。どうも、キリスト教は、西洋の宗教で、西洋はことばの世界がすごく進んでいるのかもしれないと、そのとき思った。その証拠に、聞き手なしで、主人公は話し続けていた。なかなか、ことば巧みな人だった。それに比べ、仏教関係で登場してくる人たちには、聞き手がいて、話し手の話をその都度整理しながら進めていく形になっている。どうも、仏教の世界では、「無」とか、「空」とかのわかったようなわからないような概念がよく出てくる。そして、追求される世界は、心の平安である悟りの世界であるように思う。それに比べ、キリスト教では、キリストは神であるので、神にお祈りし、神に守ってもらうという発想が根底にあるのだろう。どうも、ことばによる理解が根底にあるように思う。
ところで、山折先生が説明していた僧侶は、親鸞が中心で、一遍上人も出てきた。西行も、芭蕉も出てきた。なかなか、人間くさい僧侶が多かったように思う。そのなかで、エクスタシーについての話も登場してきた。
エクスタシーというとたいていの人は、エロスと絡めるが、エクスタシーはエロスとは元々関係がなく、脱魂や憑依と関係する意識状態の変容だろう。麻薬は意識状態の変容を引き起こす。芸術家で、麻薬を用いていたという人たちのことをよく耳にする。意識状態の変容では、幻覚や意識変容があるため、別世界に入り込んでいくことになる。
親鸞や一遍上人、西行、芭蕉などの、取り上げられていた人たちは、意識変容を求め、それによって、解放される心的状態を求めていたのかもしれない。そう、私は山折先生の話を聞きながら、感じていた。踊る宗教の話も出てきていたからである。
山折先生の話は、二度目だった。もう一度ぐらいは是非聞いてみたい。そうすると、もう少し、今よりも深く理解できるのじゃないかと思っている。それと、山折先生の書いた本を今度手に入れようと思っている。
仏教は、お釈迦様は、人間である。神ではない。故に、守ってくれるというよりは、悟る方法をいろいろ教えてくれる。だから、仏像は、半眼なのであろう。キリストは神である。故に、半眼ではなく、しっかりと目を開けている。見守ってくれる。許しを与えてくれる。そのための懺悔があるらしい。私は懺悔はしたことはない。キリスト教徒ではないから。
私も年を取ってきた。年を取ってくると、宗教への関心は強くなるようだ。
そういう意味では、「こころの時代」は、私の心をリードしてくれるように思う。
この番組は、ずっと私が生きている間は、続いてほしい。



# by hohofushi | 2019-01-13 20:47 | つれづれ人生