籠もり始めて、何年になるのだろう。
昔の人は、隠遁はそんなには珍しくなかったのだろう。ただし、上流階級の人にとっては。
今では、テレビもあり、インターネットもある。だから、隠遁と言っても、世の情報は入ってくる。
そして、私は、昔の隠遁の人たちの真似をして、午前中は、お勤めをしている。その中の一つは、お経、般若心経を読むことである。それから、ウォーキング。この途中に、般若心経を読む。今風に考えて、歩く座禅なのかも知れない。
これによって、何が変わるのだろうか。今はまだ分からないが、一応それに、掛けている。
このように、人生、かけられるのだから、まだまだ、生き方としては、若いのだろう。でも、実際の年は若くはないのだけれども。
今日も、午前中、歩いてきた。ここ数日、夏の不安定な気候によって、私の身体には、微妙に夏ばてというか、元気のなさを感じるが、それでも、いつものルーティンは、こなしている。
それなりに年を取ると、ルーティンは私にとっては、大切なスケジュールになっている。