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人生振り返ってのつれづれ思考

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2009年 02月 16日

この年になって、初めての大変さ

今日、生まれて初めての青色申告に行ってきた。はじめてというのは、本当にびくびくもので、インターネットで読んでも、本で読んでも、それでいいのだろうかと、常に心配が伴う。

それで、準備はしていたが、初めての青色申告に行ってきた。一応、「弥生の青色申告」で、作り上げていたが、また、そのプリントアウトしたもので、大丈夫だと説明書には書かれているが、本当に大丈夫だろうかと、心配で、税務署で提出する前に、一度見てもらおうと、税務署の相談窓口に行くことにした。
すごい行列だった。職員の人がやってきて、毎年、申告のできる2月の初日は、混雑するらしいと説明していた。でも、帰るわけにはいかない。

なぜか、お年寄りの人たちが多い。私も、そのうちの一人だろうけれども、自分のことは分からない。他の人を見ていて、そのように感じた。私の後ろに並んでいた人は、杖をついていた。
相談できるところまでたどり着くには、行列のなかで1時間立っていた。行列から呼ばれて、これで大丈夫だと思って進んでいったら、今度は、椅子に座って待つところがあって、そこに呼ばれた。だから、合計、一時間半近く待っていたということになる。
もともと、待つ人は、椅子が置かれている、この程度の人数なのだろう。それが、異常に、大勢やってきて、一時間の立ったままの行列ができあがっていたのだろう。
でも、待っている人たちの大勢が、どうして、こんなにお年寄りばかりなのだろう。それは、不思議であった。若い人たちも所々にはいたが、ほとんどが、お年寄りだった。
私は、携帯のラジオと、勉強道具を持っていたから、時間つぶしはそこまで疲れなかったが、ほとんどの人たちは、何も持たず、ただただ、立って待っていた。大変だっただろうと、他人事ながら、同情する。

去年、春に、勤めを辞めて、新しい道に入った。私は、普通の人の入り方とは異なっていたため、新しい人生に入るのに、手続きは、すべて一人で行った。インターネットを調べまくった。年金手続き、これも本当に訳が分からなかった。でも、実際にインターネットの説明で、大丈夫と確認するまでは、落ち着かない。特に小心者の私にとっては、落ち着かなかった。それが、今日で、それぞれの新しい手続きが、終わったように感じる。
去年の春から、今日まで、手続きは、年金の手続き。そして、新しい青色申告用の手続き。途中で、もういい、青色申告なんかしなくてもいい、白色申告でいいと、変更手続きの書類を持って行ったこともあった。でも、結局、青色申告を今日し終わった。

この年になって、こんなに大変になるとは、思ってもいなかった。普通の人の生きるコースを生きていたら、ほとんど、勤めていたところが、教えてくれていただろう。でも、普通のコースを生きていないため、一人で、いろいろしてきた。
よくやったものだ。でも、今日の申告に対して、税務署から何か言ってくるかもしれないけれども、まあ、いいだろう、終わったのだから。

小心者の私には、決まり事を押しつけられ、それを義務づけられるのは、もし間違っていたらどうしようと、本当に、脅されているような気分になってしまう。

小心者で、どこかに反抗的なものを持って生きている人にとっては、決まりによる書類だらけの人生って、脅かしの固まりのように思えてくる。
でも、今日で一応は終わった。

明日からは、自由に生きよう。と言っても、自由とは、私は何を求めているのかと、自分に問うたとき、いったい何が返ってくるのだろう。

そうなのだ。これが、人生なのだろう。
きついときには、そこからの解放が目標、目的になる。でも、いざ解放されたとき、そのときこそ、何が目標で目的かが問われる。

明日から、その目標がなんであるのか、無意識から浮かんでくる目標がなんであるのか、それとも、何も出てこないのか、楽しみでもあり、ちょっと怖い部分でもある。

でも、今、私は、人生の節目に向かい合っているのだろう。

# by hohofushi | 2009-02-16 23:18 | つれづれ人生
2009年 02月 15日

フィードバックの素晴らしさと、いやらしさ

フィードバックって、自分を知るために非常に大切なものである。状態をある範囲に維持するためには、本当に大切なものである。
しかし、嫌らしい面も持っている。

というのは、私の血糖値の話しだ。
最近ずいぶん調子がいいので、耐糖性もほとんど健康人なみについてきただろうと、思い上がっていた。

それで、食べたい食べたいと思い続けて、あこがれていたビーフコロッケを、「おしゃべりクッキング」のレシピを見て、作った。
あこがれていただけあって、本当においしかった。耐糖性もついてきたからと、一人前、しっかりと食べた。
おそるおそる大丈夫だろうと思っていたが、大丈夫ではなかった。尿糖検査で、わずかだが、引っかかってしまった。
私の気分は今、へこんでいる。調子に乗りすぎた。

私は元々、お調子者で、調子に乗ったときの気分が、最高に私に幸せ感を与えてくれてきた。この調子に乗ったときの幸せ感を私は、人生の幸福ととらえて長い間生きてきた。

調子に乗った幸せ感と、幸福感は異なるのだろうか。今、血糖値に関しては、異なることを思い知らされている。

毎日の食後の尿糖検査。これは、時々私の調子に乗った最高の幸せ感の頭を打つ。
まあ、このことによって、食事に関しては、穏やかに過ごしているように思う。無茶はしない。

でも、今日の、コロッケは、いつも腹6分で終わっていたが、腹9分ぐらい満たされた。満足した。満足しすぎたのだろうか。
でも、フィードバックって、冷めている。私の気分を十分冷やしてくれた。いやらしい存在だ。
私が、勝手に喜んでいるのに、冷や水をかける。でも、永い目で見ると、それはいいことなのだろう。

人は、太く短くと、ときには思う。でも、人生短いと、やはり、平均寿命と比較してしまうだろうと思う。そういう意味では、私をいい方向に導いてくれているのだろうと思って、今は、それに従っている。明日からも、従うだろう。

ところで、最近、人って、人との比較のなかで、ずいぶん、精神面を生きているのじゃないかなと思うことがある。

人間の最大のエゴ。それは、嫉妬だろう。人は、幸せを感じるとき、それは、人との比較のなかじゃないかと思う。自分よりも不幸な人を見るとき、同情を感じられるとき、そのとき人は、幸せを感じているのじゃないだろうか。
今の時代のなかで、私が小さい頃に経験してきたような生き方をしていれば、そのとき、最大の不幸を感じるだろう。
これはまさに、人との比較だ。だから、今の子どもに、私が小さい頃の生き方と同じ生き方を求めれば、その子は、最大の不幸を感じるだろう。なぜなら、他の子と比較して、あまりにもわびしすぎるから。

だから、時代が、社会が、全体、貧乏だと、その中の一人として、同じように貧乏でも、そのときは、そこまで、不幸を感じないだろう。でも、今のように全体が豊かななかで、一人、貧乏だと、その人は、たまらない不幸を感じるだろう。

だから、人は、「あなたよりももっと困っている人たちがいるのだ」という言葉を慰めの言葉として用いる。また、それが最大の慰めにもなる。
これこそ、人は、比較のなかで生きているということになるように思う。

われわれの概念のなかには、絶対的と相対的という言葉があるが、相対的とは、まさに、人間の存在の根底の特徴の一つを表している言葉なのかもしれない。人間は、相対的に物事を眺める存在なのかもしれない。
それこそが、比較の世界であり、よく言われる、意識とは、区別のメカニズムであると。区別とは、まさに、それこそが、相対そのものであるように思う。

だから、私も、人並みに食べたいと思う。
人並みって何だろう。それは、私の小さい頃の食事ではなく、今の現代の他の人並みの食事、これこそが、人並みである。
その人並みでないとき、自分の惨めさを感じる。これが、今日の、コロッケを食べた後のフィードバックから感じていることである。

コロッケ一つから、ここまで、私が惨めになるのも、情けないけれども、人間って、この程度の存在なのじゃないだろうか。
これも、人間の、根底の特色なのじゃないだろうな。

# by hohofushi | 2009-02-15 22:50 | つれづれ思考
2009年 02月 13日

なぜか、ここ数日、昔風のコロッケが食べたくなっている

何だろう、このように、私に要求してくる私のなかの存在とは。
それは身体の栄養学的バランスなのだろうけれども、栄養学的バランスのなかには、昔風のコロッケとまでは、出てこないと思う。

でも、今私は、昔風のコロッケが食べたい。
でも、なぜか、労力がかかりそうで、自分で作ろうとは思わない。
ちょっと前は、フライが食べたくて、これに関しては、自分で作った。エビフライと、鰺のフライ、それとキスのフライだ。

でも、コロッケは、フライ以上に、まず、ジャガイモの素材を作らないといけない。これが、私の作れる限界を超えている。
だから、今、冷凍物のコロッケを買ってくることが頭に浮かんでいる。

今日、鴨鍋をしたが、私が以前食べた、鴨南蛮には、鴨の味は遠く劣っていた。たぶん、私が以前食べて、本当においしいと感じた味との違いは、あの以前の味は、鴨にしっかりと下味がついていたのだろうと思う。
まだ、鴨肉はあるので、今度は、鴨を下味をしっかりとつけてみたいと思っている。

このように、歳を取ってくると、多くのものを食べた経験があるので、以前のその味が私に、時々に応じて浮かんでくる。
だから、あれを食べたいと言っても、あのときのあの味を食べたいということで、それこそ大変だ。

われわれの食べたいという身体の要求がある。それに対して、以前食べたものが関連づけられている。
このことって、まさに、われわれの心の中で感じること、身体から要求される感覚。そのことと、今まで生きてきた経験のなかでの、その心、体が要求してきたものの満たされた現実のものとの関連が、どうしても、重要なものとして出てくる。
満たされたときには、あの感覚とは、現実のあのものによるのだと、内的感覚が、現実のものに置き換えられて表現されるようになる。
たぶん、これは間違っていないのだろう。
これをわれわれは、投影という言葉で、表現する。

だから、私には、たぶん、すばらしい感覚をもたらしてくれるのだろうと思うが、大麻の世界は分からない。私に分かるのは、たばこの世界だけだ。

一度知ってしまうと、内的感覚として、求めるものがあり、それに現実のものとして、よりぴったりとするものを、どうしても、求めるようになってしまう。これは、永く生きていると、どんどん、内的感覚は細分化されていくように思える。
そうであるが故に、大麻を吸った人たちが、それをやめるのは大変なことだろうと、想像がつく。私には、たばこをやめるのは大変なことである。

まあ、内的な感覚とは、それだけを取り上げれば、単にもやもやした感覚でしかない。でも、それを満たすものに出会うと、その感覚とは、それを満たすものによって、表現されることになる。

こうやって、人間は、内面のというか、心的状況の表現を細分化して、明確化する歴史を生きているのだろう。
そうであるが故に、歴史の上での昔の人よりは、現代の人たちは、内的感覚を明確化するのができるようになってきているはずである。それは、歴史的に受け継がれてきているから。
たぶん、このことが大きく影響しているのだろうと思う。私が小さい頃食べたものよりは、今の方がよほど、おいしくなっているように思う。

# by hohofushi | 2009-02-13 23:34 | つれづれ人生
2009年 02月 11日

男の厄年は、数え年で25、42、61らしい

女の厄年は、数え年で、19、33、37らしい。

なぜ、私の頭の中に厄年が浮かんできたのか。
それは、今読んでいる、ニーチェの「ツァラツストラはこう言った」と、ユングの「変容の象徴」という本にある。
ニーチェのこの本を書いた年は、数えで、41前後であり、ユングは、38であった。ユングは、この年にフロイトと決別していく。その後、あの、統合失調症寸前までの体験を自己分析していくのである。と言うか、この頃もその流れのなかにいたのかもしれない。

私が今読んで感じている印象として、ともに共通するものとして、エネルギー性、激しさがある。それで、私は、厄年を調べたくなって、さっき調べた。
ともに、根底からわき出てくるというか、魂の噴出というほどの激しいエネルギーの噴出を私は感じる。

男の40前後というのは、そのあたりで、身体をこわすことが多いと言われている。また、これは、50過ぎでも、似たプロセスがあると、私は思っているが、厄年にはないようだ。それよりも、今の私の年は、まさに厄年らしいということを知った。

男の40前後での身体の壊し方は、ストレスの原因によって生じるような病気が多いように私は感じている。それは血管系の障害である。
たぶん、このあたりで、たぶん精神と肉体との関係性が変わるのだろう。あるいは、変えないといけないのかもしれない。その変化に応じて、生き方も変化することが多いのだろう。この変化を私は、ニーチェとユングの、40前後で書いた本の中に感じている。

ともに、主体、意志、自己決定を重んじているように感じる。
無意識を尊重しながらの、自己決定、意志である。身体の声を聞きながらの意志である。その部分をともに強調しているように聞こえてくる。
だから、ときには、無意識の声、身体の声を聞きながら、それと対決して、主導権は譲らず、生きることに価値が置かれている。
この厄年あたりでは、この部分が大切なのだろう。私も、その頃は、そうだったのだろうか。

私はその年齢あたりでは、抑鬱状態に襲われ、それと必死になって戦っていた。身体の声、無意識の声もよく聞いた。そして、そのときには、無意識からの声のなかで、私にとって良い神と、悪い神の聞き分け方を、私のなかでははっきりと、自覚したことを思い出す。今も、聞き分け方は、同じ方法で、聞き続けている。
と言うことは、私もその頃は、私の無意識との対決に必死だったようだ。

ユングは、徹底的に、無意識の存在を明確化するため、象徴の世界に入っていったようだ。それが、ユングの言う神話の世界だろう。この世界に深く深く入り込むことによって、ユングは、統合失調症に向かう道を避けることができたように、私には思える。
また、その結果、深い深い象徴に対する理解ができあがる道を見つけたように思える。

ニーチェも、同じように、無意識の世界に入り込んでいって、無意識と対決していった。でも、ニーチェは、晩年、統合失調症になってしまっている。この原因は、明確ではないが、私には、あの流れをそのまま、大事にしていけば、そのときには、統合失調症の世界が待ち受けているであろうと感じられる。
純粋である。でも、無意識との向かい合い、内向性の世界に純粋すぎたから、私には、当然そこで待っているものは、統合失調症の世界だろうと思えるのである。

ユングには、補償という概念があった。ユングの究極の人間の姿は、全体性というのがあった。でも、ニーチェにはそれがなかった。永遠回帰という概念はあったが、そこには、時間軸が入っていた。でも、ユングには、その時点における意識と無意識を含む精神性の全体性という概念があった。
私は二人の違いとして、そこが浮かんでくる。

だから、ニーチェは発病せざるを得ず、ユングには発病する必要はなかったと。

ところで、私はどうだろうという問題が私に向かって提起される。私の歩いている道は、まだまだ、ニーチェとユングに分岐するところまでは歩き切れていないように思う。

でも、私の頭の中では、ニーチェの道、ユングの道と、二つの道は見えていると思っている。でも、私は今、どこを歩いているかと問われれば、そこには、私の姿は見えてこない。
私に見えてくるのは、ひたすら山を歩いている自分の姿しか見えてこない。
山を歩いている姿。その姿こそは、ニーチェの「ツァラツストラはこう言った」のなかで書かれている道である。
ユングは道については、明確には言っていないように思う。ユングにとっては、それよりもマンダラの世界だ。

本当に、ユングの、フロイトと対決していたときに書いた、「変容の象徴」には、エネルギーが火山のように、噴出しているように思う。それ以外のユングの本とは、火力が全く違うように思う。

# by hohofushi | 2009-02-11 23:09 | つれづれ思考
2009年 02月 10日

今日、また飽きもせず、山に行ってきた

ところで、昨日のブログの、スフィンクスが、女性であると書いたが、エジプトには男性のスフィンクスもあると分かったので、訂正しておく。
でも、エディプス神話に出てくるスフィンクスは女性である。
似たようなことに、観音様は、女性ではなく、男性らしい。

今日、山のなかにあるお寺で、三週間ほど前におみくじを引いたが、今日も引いた。
そうすると、前は、吉で、今日は半吉で、内容は全く異なっていた。半吉では、すべて望みは叶えられないような内容だった。吉では、かなえられる内容だった。今日の、半吉では、結論として、信心するようにと書かれていた。

このことで、非常に面白いことが浮かんできた。
日本人は、おみくじを信じているかどうかは分からないが、おみくじを引く。そして、良いおみくじだと喜び、悪いおみくじだと、それは信じないようにする。私も、今日のおみくじの結果は信じないようにした。

そこで、私個人ではなく、おみくじについて、考えてみたい。
おみくじとは、先の予想である。三週間も経たないのに、同じお寺で引いたおみくじの内容が、全く正反対だ。
これが面白い。
予想のためには、現状がある。現状が変わったから、予想が変わったとも言える。それなら、明日同じおみくじを引いても、予想は変わる可能性がある。明日は、同じ山に登る予定はないが。

予想とは、現状を背景にして、予想が立つ。その予想のための根拠となる現状とは、特別なことがない限り、そう大きくは変わらないのが普通だろう。もし、ちょっとした現状の変化が、大きく予想に影響を与えるとすれば、そのとき、その予想は、当てにはできない。というのは、予想自体が、一時間後の予想ではなく、もっと、長期間の予想をにおわせる要素だからだ。
たいていは、一年の初めにおみくじを引いて、予想を聞く。と言うことは、一年間の予想を聞くと言うことに、普通はなる。でも、その背景の現状が、三週間で変わるということは、三週間も、そんなに永い予想はできないということになるのではないだろうか。普通の論理だと、そうなる。

性格って、何だろう。性格って、特別なことが起きない限り、かなりの時間、その特徴的行動が現れるということを現している。態度って、特別なことがない限り、それによる行動は、その態度による結果としての行動として、似たような行動が現れるということだ。

でもこんなに、おみくじの結果が変わるということは、いい加減なものなのだと理解できる。でも、良い結果が出るとうれしい。悪い結果が出ると、今の私のように反論をしたくなる。

このあたりが、私も人間そのものなのだと、実感させてくれる。

そして、山を歩きながら、おみくじと、麻生首相がダブりながら、歩いていた。

ところで、今日、デジカメの微妙な撮り方を習得した。
それは、デジカメでは一般的には、自動でどうしても撮ってしまう。
そのため、暗いところでも、明るく写り、明るいところでも、暗いところと同じような明るさで写る。そこが、自動のすごいところなのだろう。

でも、山に行くと、それではなく、この暗さが撮りたい。この明るさが撮りたいというのが、私には多い。
そこで、たまたま発見したのが、暗い場面で、焦点を合わせると、明るい場面をとっても、暗い場面用で写すために、めちゃくちゃ明るくなる。
ということは、暗い場面を暗く撮りたいときには、明るい場面で焦点を合わせると、暗い場面は、暗く撮れることを発見した。

それで、今日行ってきた、同じ場面を、そのまま撮ったのと、調整したのをアップすることにする。それと、その撮り方で、やっと、私が、山々を、山に登ったところから見た、その姿を写真に、見た雰囲気に似た感じで、撮ることができたので、アップする。
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# by hohofushi | 2009-02-10 23:17 | つれづれ人生